191125 佐藤愛子「かくて老兵は消えてゆく」~第57回恂恂会読書会テキスト
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夢は楽隠居
p.15 〜 p.17
私の老いた胸に暗雲が湧いた。その黒い雲は「これで中国と日本は対等でなくなっていくのでは?」という心配を孕んでいる。これによって中国は「これで日本は我が国に跪いた」と確信したに違いない。かっては世界に比類のない国のありようを誇った日本。「万世一系(ばんせいいっけい)、神の御末」と全ての日本人が仰ぎ見、尊崇し、「天皇陛下のおん為にも命も惜しまじ」と思い決めて戦場に赴き、命を落とした日本男子の膨大な人数を思っただけで世界の国々は肝を潰し、かって天皇陛下という存在の重さ、大きさ、厳かさに敬意を払ってきたのだ。テンノウ? なんでエライ? と心中心ひそかに思っていたとしても、だ。
〜中略〜
その憤りは中国に対してというよりも、小沢一郎氏に対してのものだ。
「なんで中国の機嫌ばっかりとるのだ! 売国奴!」
思わずそう叫ばずのはいられない。娘は、
「よしなさいよ」
と顔をしかめ、
「冷静に考えたら、小沢さんには小沢さんなりの考えがあってのことかもしれないじゃないの。そう一方的に決めつけないでよ。中国と仲よくすることが日本のためになると思ってのことかもしれないし・・・」
とえらそうにいう。
「仲よくする? 国益のためだというの? 経済活性化のためだと? カネやモノのために誇りを捨てよというのか! バカにされコケにされてもトクさえすればいいというのか! 仲よくするつもりでペコペコしているうちに、日本は尻の毛までむしられてしまうよ!」
思いっきり、下品になった。
〜中略〜
孫は、
「おばあちゃん、よかったねえ、元気になったんだねえ・・・」
と言い、娘は傍で
「元気がなければ心配だし、あればあったでうるさいし」
という。
そうして私は元気になりました。
そうして楽隠居の夢は吹き飛びました。
それで三たび、読者の皆さんと会いまみえることができるようになりました。
これも小沢一郎サマと中国のおかげです。
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地震雑感 (p.30 ~ p.39)
3月11日地震当日の愛子さん揺れの中、桜の老木を見に行き、その後、居間へ戻って観音開きの食器棚のガラス戸にガムテープをペタペタ貼った。
父親の佐藤紅緑は昭和19年の東南海地震のときは、揺れる縁側に立ち続けて空を睨んでいたという。その時の日記に「万象転べど達磨は転ばず」と記した、その胆力に愛子さんは感じ入る。
石原慎太郎東京都知事の新聞発言
「アメリカのアイデンティティは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものがない。我欲だ。物欲、金銭欲、我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心の垢を。やっぱり天罰だと思う」
だが、「天罰」という言葉だけが舞い上がり、人々の怒りを買った。
女性読者からの手紙
「(前略)先祖が苦労して国を守ってこられたのに食物を粗末にしたり、本当にバチが当たったのでしょう。平和ボケが当たり前の生活。本当に考え直さなければとつくづく感じているところです。これからは日々、感謝の気持ちで過ごしていきます」
大切なことは災厄(さいやく)が降りかかってきた時の受け止め方である。その受け止め方で人間の品格が決まるのである。私たちが今考えなけれならないことは批判したり憤慨することではなく、自分の身は安全だったことに感謝し、福島原発事故の収束を目指して命がけの作業員、自衛隊、警察の人たちに感謝し、それでもお天道様は輝いて花が咲くことに感謝し、水道の水は出ているし計画停電などどいわれながらも電気はきているし、郵便は届き、電話も通じているのは、それらに携わる人々の努力のおかげであることの感謝し、菅総理を初めとする政府の面々への言いたい悪口をぐっと抑え、体調を崩したとかで雲隠れの東電社長へのいいたい文句など、抑え難きを抑え、忍び難きを忍んでひたすら感謝の気持ちを育てよう。その気持ちを神に届けよう。神に助けを求める前に神の意に添うような生き方をしなければならない。心から私はそう思うのである。
巷間(こうかん)「怒りんぼ将軍」といわれて久しい佐藤愛子にしてこういうことを思う。
今はそれほどの国難が迫っているのだ。今こそ反省して新しい力を出す時である。
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ぬくぬくを排す
p.45
こんなことをしていて(電力に頼る暮らし方をしていて)この先はどうなるのだろう? 文明の進歩とはこういうことなのだろうが、その快適さに安住しているうちに次々と失っていくものがある。物を大切にする心や努力や働く喜びや感謝の念である。多くの人々は文明の進歩を喜んで容認しているけれど、よく考えると文明の進歩につれて、人間の肉体も精神力も退歩していってのではないか?我々の脚力、腕力、嗅覚、視力、聴力は衰えていっている。現代人が長命なのは栄養学や医学が発達したおかげであって、人間の肉体そのものが進歩しているではない。肉体は明らかに退歩している。視力の衰えにはメガネ、聴覚の衰えには補聴器、歯が抜ければ入歯がある。老け込まずに若々しいのは衰弱を「補う技術」が進歩しているだけのことだ。かねてから私は折りあるごとにこの自論を繰り返してきた。だが、悲しいから、私なんぞ物書きの端くれが何をいっても蟷螂(とうろう)の斧である。
昔のボットン式トイレの思い出
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モゴモゴ考
p.52-53
日本がアメリカに戦争を仕掛けた時、私の母は、地図を見ただけでもこんなちっぽけな唐辛子みたいな日本と、それに比べて風呂敷ほどもあるアメリカと戦争を始めても勝つわけがない、なんという考えなしのことをするのかとひどく心配していた。まさしく庶民感覚の予想である。
だが、軍部のエライ様たちは「勝つ」と想定した。予想でなく想定である。その想定がどんなふうにひっくり返ったかは誰でも知っている。よろず何事も想定するには頭脳明哲、智恵卓見がなくてなならない。感情や欲望は髪一筋も交えてはならないである。その頃、戦争が負け戦になってきてから「軍部がアホやから」という失望があっちこっちでも囁かれ出した。アホの想定ほど怖いことはないのである。といっても別に東電を皮肉っているのではない。「自然の力を想定する」なんて思い上がりだ。自然を舐めてていたことに気づいてほしかったということをいいたいのである。
人間なんて大自然の前では実にちっぽけな存在なのである。昔の人はそれをよくよく知っていた。自然の中に神を感じ、海を見て己の卑小さを知り、山に向かって手を合わせ、自然の恵みに感謝した。それがいつの頃からか、人間は山も海も人楽しませるレクレーションの場所にしてしまった。高峰に登るのはいいが、それを「征服」というようになった。科学を産み出した自分たちの知恵能力を過信し、我がもの顔に自然を見下すようになったのだ。
「想定外」もヘッタクレもない。自然の力を想定して制するより、自分たちの限界を想定すべきでだった。人間は人間は「分際」を弁えるべきであった。今回の災害で私が学んだのはそのことである。
p.58
ー先進国である必要はない。潔く後退すればよい。国力は衰えても日本人は精神の高みに生きる誇りを持てばよいのだ!
p.59
苦難は不幸だと欺かないように努力しよう。苦難に直面することで人間は賢く強くなる。苦難を「学び」の場と考えよう。この世に生まれたのは「楽しむためだ」と思うのをやめよう。その思うと恨みがましくなったり腹が立ったりするからだ。この世に生まれた意味は修行のためだと思うことにすれば、諦めも尽くし、力も出てくる。承服出来ぬ考え方だと思ったとしても四の五のいわず無理でもそう思おう。そうすれば力が出てくる。我々人間にはそういう潜在的な力があることを信じよう。
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嘘くらべ
p.68
「その口で嘘をつくなとついた人」
鳩山由紀夫元首相
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時は流れぬ
p.69
忠臣蔵のお話
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真夏の白日夢
p.84
「佐藤さんでよかったでしょうか?」
「一万円からいただきます」
「〜〜〜になります」=「〜〜〜です」
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その時がきた
p.95
「あのアレどうしたかしら。ほら、いってたでしょ、いつだったか、これ悪くないねぇっていい合ったアレ、ほら、アレ・・・」
〜続く
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唖然呆然(あぜんぼうぜん)
Y子さんの体験 p.99~p.102
戦争の只中にあっては人の生き死には紙一重だった。善人だから助かり、悪人だから死ぬということはない。神を信じて祈っていた人か、そうでなかったかも関係ない。体力、運動能力、反射神経があったから助かったということもない。死ぬ人は死ぬ。死なない人は死なない。その違いは何かということなどできない。「間が悪かった」それだけのことだ、とY子は私にいった。戦争を始めた軍部や政治家を恨んでもしようがない。焼夷弾を落とした米軍機を憎んでもしようがない。Y子を荷物で押した男を恨んでもしようがない。生きていくためには目の前の事実を黙って受け容れて、諦める。それしかない。諦めたくなくても諦めるのよ。忘れるのよ、振り払うのよ。不幸を生き抜くコツはそれしかないのよ。Y子はそういった、
p.105
<東日本大震災の日の幼稚園送迎バスが津波に巻き込まれ園児5人が亡くなったことの損害賠償に対して>
誰のせいでもない。これは天災である。天災の「再発防止」などできるわけがない。できると思うのは傲慢である。天災に対して我々は、己の卑小さ、力のなさを思い、ただ平伏して受け入れるしかないのだ。
自分が蒙った不幸を、誰かのせいにして、その人を苦しめて、自分の不幸を埋めようとする。それは人の「権利」だ、という考え方が今日あるらしい。しかし権利なるものを行使して、たとえ裁判に勝ったとしても、自分が受けた不幸の傷が癒されるものだろうか? 二億の賠償金で悲嘆が消えるのか?
p.106
今はかつて日本人の特質だった「諦念」が消えてゆき、「幸福になる権利」を行使するすることが正しいと考えられているようだ。自分が受けた不幸を賠償金を要求して補うことは「正しい行使」であり「権利」だということのようである。昔なら「エゲツないことするねえ」といわれたことが。これが日本人の「進歩した」ということなのだろうか。そしてそれは「幸福」につながる道なのだろうか?
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平成井戸端会議
p.115
「大臣として許されざる言葉だ、人を傷つける言葉を平気でいう野田政権に復興はできない」
とまでいう自民党副総裁のコメントを見ると私は呆気にとられてしまう。野党というものは「敵失」を見つけてすかさずいい立てるのが「使命」なのかもしれないが、メディアまでが非難の太鼓を叩く様を見ると、そんなことよりもっと大事なことがあるだろうが、といいたくなる。
p.117
井戸はなくなり井戸端は消えた。女性の抑圧は解消され学識は高まった。もはや女は愚痴や噂話をして解消する必要はなくなった。その代わりに男も加わって社会批判、政治批判、些細なことを取り上げてあれが怪しからん、これが許せぬと、国全体が井戸端会議みたいなものになってきたようだ。インターネットが井戸端の代わりである。ストレスがあってもなくてもみんなインターネットに向かってしゃべっている。大泥棒石川五右衛門は「浜の真砂は盡きるとも世に盗人の種は盡きまじ」といったが、「泥棒」に加えて「井戸端会議」を付け足したいと思うがどんなものであろう。
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行列癖
p.125
そうしてそうだ、ラーメン屋の行列!美味しい店と評判なのだろうが、たかがラーメン一杯に10メートルも20メートルも行列するのか、この寒空に並んでまで食いたいか!と(思わず下品になって)いいたくなる。
p.127
いうまでもないことだが、神は見えない存在である。つまり精神的な存在だ。社の奥に座っていて、一人一人の悩みや願い事を聞いて、癒したり叶えたりする存在ではない。神はただ、「そこに存在している」だけだ。私はそう思っている。我々は肉体を持っているから、欲望や情念に左右される。だが神は精神世界の存在であるから、肉体人間の欲望や情念に呼応するわけがないのである。だから神に現実世界の願い事、病気を治すことや金儲けや入学や縁談を頼むのは間違っている。
神に願い事をしてはならない。したところでだからどうということはない。神に祈る時は、ただひとつ、感謝を捧げればそれでよいー それが私が辿りついた祈り方である。生かされていることの感謝。無私謙虚な感謝の念を送るのが「祈り」だと私は考えている。そんなふうに祈る時、その波動が神の波動と同調して、その人の波動が上がるといわれている。波動が上がれば現実世界の欲や情念に惑うことなくなっていく。そして清純な気のエネルギーが生まれて、自然に現象として「よいこと」が起こる。
そう考えている私は、だから拝殿の真正面で神と一対一でなければ拝んではならないとはつゆ思わない。横の方でも人の頭の後ろでも、どこでもいい。無私感謝の気は必ず神に伝わる。ラーメン屋なら、横の方にいては食べ損なうということになるだろうが、神社はラーメン屋でも劇場のトイレでもないのである。
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哀れ恋猫
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想像力合戦
p.139
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前世紀の遺物は語る
p.153
現代ではいたるところに臆病風が吹いている。起こるか起こらないかまだわからないことをあらかじめ想定し、それを防ぐことばかり考えていて、従ってみなが事勿れ主義になってしまった。私が子供の頃、夜が更けると「火の用心さっしゃりませ! 火の用心、火の用ー心・・・」と拍子木を叩いて町内を廻る人がいた。生活が単純で人間が素朴な時代だったから、その拍子木の音に寝につこうととしていた人たちも、改めて火の始末を見廻るというようなことをしたものだ。「転ばぬ先の杖」という諺があり、用心深さが美徳とされていた。また「人を見たら盗人と思え」という訓戒もあった。これから親元を離れる娘っ子などに親はいったものだ。
「世間には悪い男がいっぱいいるからね。くれぐれも気持ちを許してはならないよ」と。
こんなふうにしてあっちを慮りこっちを推し量り、ことが起きぬように心配ばかりしているうちに、本当に大事なことは何かが見失われていく。「火の用心さっしゃりませ」時代から世の中も人の智能も目覚しく進歩している。進歩しながら、何倍もの知識を身につけながら、人の心は柔軟性を失い、失敗を恐れぬ勇気を失い、困難と闘う気迫や楽天性を失ってしまっていること、自由自由といいながらほんとうは窮屈な生活に甘んじていること(窮屈を窮屈と思わなくなっていること)、社会生活の中で何より大切な信頼を失い、誇を失い、そうして人間性を衰弱させていっていること、それらに無自覚になっているのではないか?
すべて「安穏」のために・・・。
こと勿れ主義のそんな「安穏」のどこに幸福がある?
p.158
「ひとつ伺いたい。互いの信頼を捨てた世の中はどうなると思いますか?」
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孤軍奮闘
p.160
孫がタダだからといって髪を染めて、怒涛天をつく愛子さん
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怖い話
p.173
40年前に夏の家を立てたのがきっかけで経験する奇怪現象。
霊を鎮(しず)める力を持った人(=美輪明宏)に巡り合えて怨霊は鎮まったのだが、そういう歳月を経てここまできた私である。気がつくと何を見ても何を聞いても、怖いと感じなくなっている。
だから私に「怖い話」なんぞできるわけがない。それはユーモアを解さない人には面白い話ができないのと同じです、と私はHくんにいった。
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独特の常識
p.181
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お化け屋敷今昔
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今はただ、ヘーェというのみ
p.202
北海道で娘さんが銀行口座を開いた時のエピソード。
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私の教訓
p.218
人間というのはなかなか面白いものだ。人生は捨てたものじゃない。生きていく上でのいろいろな経験が、悪い経験もよい経験も人間形成の種になっていくのだから。今ワルだからといって死ぬまでワルと決めてしまう必要はない。今のワルがいつ脱皮して変貌していくか(しないかもしれないが)、その可能性は誰もが持っていることを信じよう。それが人生の面白さだ。
東京へ帰ってその話を友人にすると、「そんな時に笑うなんて」と呆れられた。機械な虫でも見るような目になって。
その気持ちはわからないでないけれど、考えてみると、「そんな時に笑う」ほど私たちは苦難の歳月を生きてきたということなのである。(わかりにくいかもしれないが)親の苦難は当然、子供の上にも降りかかる。苦しさを乗り越えるのには色々な乗り越え方がある。泣いて泣いて泣き明かして、そこから力を出す人もいるだろうし、黙ってただ耐えて踏ん張るという優れた人もおられるだろう。また怒り狂ってその力で乗り越える人もいるだろう。なぜか我々には「笑ってイナす」という術が身についてしまったのだ。笑えばラクになるということをマスターしたのだ。それゆえ私の人生は悲劇なのでなく悲喜劇的になったのである。
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元気の源は・・・
p.224
百グラムの肉を買いきてひとり食む 八十五歳バースディの宵
来年の抱負
声が大きくなるのを慎むこと
すぐに調子に乗る、あるいは腹を立てるのを止めること
動作をしとやかに、ゆるゆるとすること
皆さんは?
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これにて消えます
p.236
と高笑いをしたこともあったが、そのうち大庭みな子さんをはじめとして、仲よしだった中山あい子、上坂冬子、俵萠子、中島梓、吉武輝子・・・それからあの人・・・えーと、なんて名前だったけ・・・あんなに親しくしていたのにどうしても名前が出てこない。えーと・・・えーと・・・。思い出そうと苦悶しているうちに、心臓が怪しく動悸してきて、えーとえーとが、どうしよう・・・どうしよう・・・ああ思い出せない、もうダメだ・・・になっていく。私の脳細胞は刻々に死滅していっているのである。
p.239
しかしいまは六十歳はハナタレ小僧だ。古稀七十歳といっても別段どうということはない。ただの七十だ。七十七の喜寿ももう特別にめでたがるほどの歳ではなくなってきている。八十八の米寿も私の場合はたいしてめでたがらず、たまにめでたがる人がいると、私はまあ無理にめでたがってくれなくても、という気持ちになった。
p.242
全く、生きるのも大変だが、死ぬのも大変という事態になってきた。これというのも医学の目ざましい進歩のおかげである。その力で人は長寿になり、長寿は認知症を招き、認知症は病でなく老い衰えたための脳細胞の欠落による症状であるから治療法というものがなく、死とは関係ない。それでも身内は放っておくわけにはいかないから、看護に心身を振り減らす。
長寿はめでたくはなくなったのである。
過ぎたるは及ばざるが如し。医学の進歩は必ずしても人間の幸福を守るものではなくなった。長寿は若者の「お荷物」になった。それを我々老人は肩身狭く感じている。
さらなる医学の進歩が、欠落した脳細胞を再生させる方法を見つけ、認知症が感知するようになったとしたら・・・私は考える。そうなれば問題は何もなくなるのだろうか? しかし「長寿」はめでたいめでたいと、誰からも寿(ことほ)がれるようにはなりはしないだろう。かって長寿がめでたかったのは、全体に短命で長寿が珍しかったからであろう。いま、長寿は珍しくなったばかりでなく、いつまでもピンピンしていて時代の流れに添わぬ古い価値観を押しつけ、新しいものはすべて(理解できないものだから)憎み排撃し「老害」などといわれて孤立するーーーわが身を省みればそのように思わざるを得ないのである。
人はみないい加減に消えた方がよい。
私はそう思う。人間はやがては消えるようにできているのだから。神様はそうお造りになったのだから。
さようなら、皆さん。
かくて老兵は消えます。
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<感想>
本に目を通して読んだつもりでいましたが、もう一度読んで印象に残った箇所を文章におこしてみて、佐藤さんの語り口風の文章力・語彙の豊さにただ感心しました。さすがに文豪です。
発言した内容のうち文脈や前後を省略して一部分だけを取り上げてニュースネタとなることが昨今はますます多くなった。
ツイッターなどで「毒を吐く」「唾を吐く」ような表現を時々目にするけど、これは自分にモドテッくるだけなんだけどなあ・・・